those days

あの頃のことを思い出すと・・・

理想と現実

私の中では女性は2種類のタイプしか存在しない。

「かわいい」人と、「綺麗」な人。

で、この2つの定義はというと

かわいい:身長が低い

綺麗:身長が高い

この定義で生きているので、私の中に「ブス」などという言葉はなく

世の中すべての女性はこの2パターンのどちらかでしかない、という

おめでたい理論。

 

して、この理論で言うと身長の低い私は「かわいい」なので

「私はどっちかって~と綺麗ではなく、かわいいタイプだから」

と平気で人様に言うことが出来る。

というか、出来てた。

 

私がまだ今よりもうんと若かった頃は

「anan」や「Olive」という雑誌が流行ってた。

ブランドも流行りだした頃で、「かわいい」の代名詞の1つが

ピンクハウス」というブランドだった。

レースやフリルがたくさんついて、淡い色合いの服が多く

友達の中にはこのブランドで全身固めてる子もいた。

でも私はそういうレースやフリルが大嫌いだった。

おしゃれ女子が読んでる「anan」も「Olive」も嫌いだった。

 

そして、「ガロ」や「ビックリハウス」が好きだった私は

独自の「かわいい」進化論を突き進んで、

以降の長い年月、おかしな方向へと邁進するのであった・・・。

 

フリルやレースが嫌いな私の中で、「かわいい」女の子の頂点に

立つのは、ズバリ、ボーイッシュな女の子!

これしかない、と思ってた。

ドラマは見なかったけど、映画が大好きではまってた時期でもあり

メグ・ライアンが理想の女性であり、

生まれ変わったらメグ・ライアンになりたいと思うほど。

 

 

そんなある日。

友達のお母さんに勧められて「フライド・グリーン・トマト」という

映画をレンタルして見た。

内容も好きだったけど、それ以上に私が好きになったのが

主人公を演じてたメアリー・スチュアート・マスターソ。

シンプルな服を着こなす彼女こそが私の目指す「かわいい」の

姿だと思った。

 

 

そして、私は彼女になりきるべく、ある服を買ってしまった。

 

ベスト。

 

平たく言えば、チョッキ。

 

 

前身頃が薄茶色のスエードで、後身頃が濃い茶色のスエードに

なってるベストを購入。

ジーンズ+白シャツ+ベスト。

頭の中では、「ボーイッシュでかわいい女の子」が出来上がってた。

最強だと思ってた。

だから、どこに行くにもほとんどがこの格好。

頭の中では、私はイジーそのものだった。

周りはそんな私を「かわいくてキュートだ」と思ってる。

・・・はずだった。

はずだった。

・・・うん、そのはずだったんです。

 

8月の終わりか、9月になってた頃だったかな。

その日も友達といっしょに遊びに行ってた。

海の近くにある公園だった。

ひとしきり遊んで休憩してる時、ふいにおしゃれ番長K君が言った。

「ゆたこ、最近ずっとその服だよね?なんで?」

ニヤリとしたと思う。

おしゃれ番長K君、ようやく気づいてくれたかね?

田舎者で小心者でダサダサ女子ではあったけど

人には気づかれたくなくてがんばりまくってた私。

ようやく陽の目を見ることが出来た!

すごくない!?私、すごくない?

胸高鳴る。

K君のことは好みではないけど、告白されたらどうしよう。

断って友人関係が続けられないのは嫌だな。

などなど、めくるめく妄想。

この時間、わずか10秒にも満たなかったと思う。

 

「ん~、なんかレースとかリボンとかフリフリは

ちょっと好きじゃないし。ナチュラルな感じが好きだから」

よくわからんような言葉で返答した。

K君、この瞬間、私に恋する。

なんなら、他の男子も私に恋する。

私、人気者!

 

 

「ずっと思ってたけどさ」

ついに告白タイム。

他の女子から嫉妬されるか!?

大丈夫か、私?

 

「それってマタギっぽいよね?

この前、金曜ロードショー西田敏行がそんなの着てたけど

ゆたこはマタギとか開拓者とかそういうのが好きだっけ?」

 

 

マタギ

鉄砲を生業とする猟師のことを指すのが一般的である、とWIKIにある。

 

 

え?なんでこんな流れになんの?

焦る私。

 

K君の言葉によって、他の人たちも「やっと言えるよ」みたいな

顔して言う。

「ってかさ、与作っぽいよ。なんか」

「笠地蔵のおじいちゃんが被ってた藁のなんだっけ、あれ?

あれっぽい」

「ずっとやめたらと思ってたけど、やっと言える!

お前、それやめろ!」

 

 

え?え?なんで?

一気に挙動不審になる。

メアリー・スチュアートマスターソンだよ?

イジーだよ?

 

でも、そんな声が届くわけもなく。

それ以降私は「与作」というニックネームで

しばらく呼ばれ続け、段々とおしゃれチョッキが

マタギのマストアイテムに見えるようになり、

自分のスタイルを貫くほどの決意もなく、

段々と出番をなくしていった。

 

 

日曜日の昼下がり、押入れの中の本探してる時に

禁忌のダンボールを見つけ、そこから出てきたベスト。

思い出す。

輝かしいあの頃と共に、「与作」と呼ばれてたあの頃を。